先日Twitterに経理研究所の話を書いたところ反応をいただきました。
私が通っていた中央大学には公認会計士試験の合格を目指す予備校のようなものが存在しており、その組織が経理研究所と呼ばれています。
サークルではないんですけどね。
大学入学してすぐに入りましたが、あまりに大変だったのでその年の6月でやめています。
今回は当時の経理研究所の思い出も踏まえながら書いてみようと思います。
令和3年度大学別の公認会計士合格者数ランキング
実際に大学別の公認会計士合格者ランキングを見てみましょう。
引用:公認会計士試験に強い大学は?学歴・学部との関係から難易度まで徹底解説!
https://shikakutimes.jp/kaikeishi/870
中央大学が4位という上位にランクインしていますが、この大きな理由が経理研究所にあると言われています。
日商簿記3級2級を2ヶ月で・日商簿記1級を5か月で
当時経理研究所に大学1年次から入りますと、まず日商簿記検定1級を目指した後公認会計講座へと編入する形になっていました。
6月 日商簿記検定3級・2級合格
11月 日商簿記検定1級合格
11月~ 公認会計士講座へ編入→大学3年次で短答式論文式合格
当時は対面講義しかありませんでした。
経理研究所の厳しさを知る
先ほどの3年次までのスケジュールを見ていただくと相当ハードなスケジュールだというのがお分かりいただけるかと思います。
私が挫折した理由が精神的に大変で余裕がなかったから。
大学との両立が厳しくなる予想ができてしまいました。
そこで、当時きつかったことをいくつか挙げてみたいと思います。
日曜日のみ休み GWは丸1日勉強
当時は対面講義しかありませんでした。
日商簿記検定3級2級講座から、平日は大学の授業が終わった夕方18:00~21:00が授業時間。土曜日は10:00~17:00が授業時間だった記憶があります。
日曜日だけ休みでしたが、公認会計士講座ではこの日曜日に答案練習会が行われていたようです(友人談)。
ゴールデンウィークは休みなく土曜日と同じような授業時間で行われていました。
毎日答案練習をしていましたね。
これくらい勉強しないと公認会計士試験には合格できないということは後から分かったのですが。
一番心配していたのは大学の授業との両立でした。
幸いなことに私は商学部会計学科でしたので関連する科目が多く、資格試験の延長で理解できるものばかりでした。
しかし大学の授業が終わったあとさらに21:00まで勉強する体力もなく、眠くて仕方ありませんでした。
電卓は左打ち
経理研究所に入った初日、指導していただく公認会計士からこんな一言が。
私は左利きではありませんが、半ば強制かのように言われたのです。
数日間は電卓を左打ちする練習をして今では当たり前に左打ちになっています。
試験では、電卓は左打ち・ペンは右で持つと解答スピードが速まります。
しかしどうしても合わないという友人たちは諦めて右打ちをしていたりしましたけど。
ただこの電卓左打ちは習得しておいてよかったなと思いますね。
どの試験でも役に立ちますし。
体力的・精神的ストレス
たった2ヶ月しかいなかったのに疲れ切ってしまいました。
毎日の講義と答案練習。
1年次というと大学の授業も多いので両立が大変になってきてしまいました。
嫌だったのは友人との会話で成績や勉強の話になることが多くなっていったこと。
成績がよければ自分も会話に入れたりしますけど、簿記に苦手意識があった私はみんなが嬉しそうに話しているをみて嫉妬していました。
2ヶ月で基礎が身についた
経理研究所に在籍したのはたった2ヶ月なので、正直細かくお話できることはありません。
ただ当時の日商簿記検定講座のテキストに誤植が多かったのと、指導していただく公認会計士との相性もよくなくて説明も分かりづらかったのです。
しかし、今こうやって方向性は違えど税理士として活動していく中でこの2ヶ月で基礎が身に着いたと言っても過言ではありません。
まったく簿記のボの字も知らない人間が2ヶ月たてば仕訳は当たり前に切れる・問題が当たり前に解けるようになったわけですから。
あと、同時期に一緒に入ってくる多くの友人に出会えたことですね。
基本的に同じ学部・学科ですので大学の授業でも顔を合わせるようになります。
その友人たちと馬鹿騒ぎをしたり…。
現在は、公認会計士になっていたり事業会社の経理をやっていたりしますが、いまだに交流が続いています。
まとめ
私は大学の授業を優先したので、経理研究所を辞めて専門学校に行くことにしました。
結果的に私は不合格になったので、もしこのまま経理研究所で勉強を続けていたらどうなっていただろうかと思ったりします。
ただ友人の中にはストレスでおかしくなってしまう人もいたので私には向いていなかったのかもしれませんね。
では。