幼いころのあの記憶を鮮明に覚えている

突然ですが幼いころの記憶って残っていたりしませんか?

少し前のことは覚えていたりしますが、小学生くらいまでの記憶ってどうでしょうか?

何か大きな出来事があると記憶に残ったりしますが、私は小さい頃のある出来事を鮮明に覚えています。

今日はそんなお話をしてみたいと思います。

保育園の廊下の天井 たたみの模様

なぜこんなことを覚えているのかなんですけど、保育園のころ問題児扱いをされていたようです。

よくケンカして落ち着きもなかったようで、厳しめの学校だったこともあってよく教室に入れてもらえませんでした。

廊下に追い出されて泣きじゃくる私。誰もそこにはいない暗ーい場所。

その廊下の天井にあったたたみの模様をずっと見続けていました。

その光景が記憶として残っているのです。

ただ何時間もそれを見続けているー。

輪の中に入れてもらえなかったということでさみしかったんだと思うのですが、ひとりになるとなぜか落ち着けていたような気がします。

誰かと一緒ならケンカをしていたわけで、ほかの園児と交流するのも面倒だなと幼いながら思っていたのかもしれません。

なので、特に教室の中に入れてもらえなくてもいつからかわざわざ輪に入らなくてもいいや、と思えるようになっていったような気がします。

何時間も入れてもらえなかったので印象的だったのかなと。

神父が教えてくれた英語の授業

私が通っていた保育園はカトリック系でして、神父やシスターがいらっしゃいました。

私がとても楽しみにしていたのは神父が教えてくれる英語の授業でした。

なぜかこの時はとても落ち着きがあって真剣に聴いていたようです。

とにかく発音ひとつひとつがとても新鮮だった記憶があります。

それを思い出したのかどうかはわかりませんが、中学生になると英語が得意科目になりました。

高校受験も私立高校の国際科を受験しましたし、その後も英語は何かしら勉強していました。

一時期離れていましたが前職でもTOEICは受験していましたし、英語の勉強に抵抗感はありません。

保育園の時の経験が活かされているなと感じます。

いじめた・いじめられた

保育園の時は問題児でしたので、しょっちゅう同級生をいじめていました。

同級生とけんかをして砂場にある砂を目に投げて入院させてしまったこともあります。

そのたびに親には迷惑をかけました。

小学生になると逆にいじめられました。先生との相性も悪くて…。

結局なんだかんだで高校生までいじめられてきました。

もちろんそのグループ以外では友達付き合いもしていましたし、少ないながら親友もいました。

ただ、いじめたことといじめられた両方の記憶があるために、人の様子をうかがって行動することが多いです。

それゆえ誤解されることも多いですね。

顔色をうかがうくせというか、ちょっとでも気にしてしまうと言うんでしょうか。

どこかで発散しないとやってられないこともあります。

見た目おとなしいと思われるのですが、自分自身はまったくそうは思っていません。

言いたいことはすぐに言ってしまうタイプです。

ある先輩から「二重人格だ!」と失礼なことを言われましたが、実際そうなのかもしれません。

電車

亡くなった母方の祖父によく旅行に連れて行ってもらいました。

私が電車好きだというのを知っていて、どこに行くにも電車に乗せてもらいました。

初めて東海道新幹線に乗った時もグリーン車でした。

寝台特急に乗った時の夜の景色も鮮明に覚えています。

さらに振り返ると、保育園の帰り道わざわざ遠回りして踏切まで行って電車を毎日見せてくれました。

その時の周りの景色も覚えています。

そういえば、地元のJRの駅名をすべて暗記していたことがあります。

今も若干覚えていますのでやっぱり幼いころの記憶はすごいですね。

まとめ

今回は、幼いころの記憶をよく覚えているということを書きました。

覚えていることって、自分にとってそれが印象的だったり大事だったということが大きいですね。

それを活かしていることもあれば、記憶だけが残っていることもあります。

少しでも今後に活かせるものは活かしていきたいです。

特にいじめに関しては、いじめたこともいじめられたこともあるからこそわかる部分もありますし。

人を扱う社労士になったのもなにかの運命なのかなと思うこともありますね。

では。

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